プロゲーマーと呼ばれる人達がいる事は知っていましたが、まさか東大卒の方がプロゲーマーだとは知りませんでした。
そんな興味で読んだ本「東大卒プロゲーマー」(著書ときど)。
本のタイトルを見て、なぜ東大を卒業してまでプロゲーマーと言う選択をしたのか?
誰もが気になる疑問だと思います。私もそれを知りたくて読みました。
本の内容はその疑問に対して応える内容になっており、情熱を注ぐ職業を選んだ結果、プロゲーマーであったという事ですが、著者はゲームばかりに情熱を向けていたわけでなく、東大での研究にも情熱を向けていました。
東大生時に作成した論文は賞を取るほど評価されていたにも関わらず、大学院の進級システムに対して憤りを感じ、挫折をします。
この本を通じて感じることはどこまで本気で没頭できるかです。
著者は情熱という言葉で表現していますが、東大に合格するのも、ゲームの世界で頂点に立つのも全ては本気で挑むという姿勢です。
本気だからこそ、その他あらゆることよりも優先されるのです。
この考えは私にも共感でき、どれだけ合理的に時間を注げるかで勝敗が決まるのだと思います。
とにかく目的を達成することだけに時間を使うわけですから、それ以外に掛かる時間はなるべく排除します。
私もこのような事を随分としてきましたが、今となっては家庭もあり、子どももいる事ですし、休日などは終日勉強や研究に没頭できる訳ではありません。
そしてそれほどまでに没頭できる事があること自体、幸せな事でもあるのかも知れません。
様々な事情により志半ばで諦めざる負えない方も多いのではないかと思いますし、好きなことで家族を養うのはそうそうたやすいことではないので当然家庭を優先する方が大半です。
ですが、勝負の世界では本気の度合いが違います。家庭があるないに関わらず勝負の世界です。
様々な諸事情よりも勝つことを優先する。
それはそれだけ周囲のサポートや理解が必要とも言えます。
とにかく勝つにはどうすればいいのかを常に考えながら行動するからこそ強い。
さらに一度その対戦相手に勝ったからと言ってその歩みを止めず、さらにもっと勝率を上げるためにはと徹底して研究をする。
たかがゲームの世界と言う方もいらっしゃるでしょうが、同じ囲碁や将棋もゲームとするなら、同じような奥深さがあるように思います。
人間対人間のむき出しの闘争本能のぶつかり合いには変わりがないのでしょう。
著者はゲームの世界での勝負より東大受験の方が公式通りだったと語っています。
話が散漫になりましたが、何が言いたいかと言うと、「こうなればいいなぁ」とか「なりたなぁ」といった漠然な気持ちではなく、絶対になるといった気構えで本気で立ち向かうとき、人はその行動が自分事として変わると言う事です。
それは受験の同じですし、プロの世界でも同じです。
以上、「東大卒プロゲーマー」を読んでの感想でした。
ご清聴、ありがとうございました。