息子の大学進学についてどうやら家内と揉めている。
息子が言うにはとある大学の情報学科しか受験しないとのこと。
すべり止めなんて考えは毛頭ない。
そこで困ったのが家内。
せめて大学だけは出ておかないという考え、もしものために別の学部や大学も受験をしておいたほうが良いと主張。
さて息子の方はというと、他に行きたい学部や大学が見当たらないらしく。
行きたくない学部や大学を受験する意味がないと主張。
この攻防戦が続いている我が家。
そして私はというと・・・
大学に通った事がないのでなんとも言えない。
45年間生きてきて、20代の頃に通ったレールと現在のレールは繋がっているのか?
なんて考える。
そもそもレールを通ったという感覚もない。
どちらかと言うとコース上のレースで勝とうとしてきたという印象。
学歴で後悔した事も思い当たらない。
【大学ぐらいは卒業しないと・・・】
その言葉に何か悲しいものを感じた。
それはなんと言えない虚無感。
この言葉には2つの虚しさがある。
やりたい事が他にあるのにレールの上を歩かされるという虚しさ。
もう一方はさらに虚しく、これといって大学でやりたい事がない。
なんとも嫌な言葉だ。
私はこの言葉を子どもたちに言いたくない。
これまで私が生きてきた10年と、これから子どもたちが生きていく10年は全く違う世界だろう。
今は存在しない職業が驚くほど生まれてくるに違いない。
なので、子どもたちには自ら人生を切り開いて欲しい。
自ら積極的に学ぼうと思えば、独学でも学びやすい時代だし、コミュニティも作りやすい世の中。
やりたい事を見つけたのなら、レールからはずれれば良い。
社会のレールというものがあると思わないで欲しい。
それはレールではなく、レースを競うコースなんだと。
主体性があれば例えレールを外れても人生に影響はない。
きっと誰かがやってくれるだろうとか、誰かが教えてくれるだろうなんて考えだけは持たないで欲しい。
そんな考えだと
●社会・他人のせいにする
●とかく愚痴が多い
●他人と比較をする
●悪口が多い
ってことになる。
そのことがまた、人生を上手く行かなくして、どんどん卑屈になる。
だから、自分の将来の選択は自分で決断をして欲しい。
夫婦ゲンカで良くある火種、子どもの教育方針の違い。
家内は、子どもの将来が心配じゃないのかって私に言うけどね。
当然心配はしているわけでして・・・
でも息子の方は主体性があるのでそれほど心配はないのですが・・・
問題は娘の方ですかね。
受動的な性格なもんで、手をこまねいております。
やりたい事をやれという事を書いておきながら
今の自分はどうなのか?と自問自答。
やりたい事はまだまだ沢山ある。
いつやるか?
やりたいけど、躊躇している事も多いもんだ。