大阪の中心部を南北に走る上町台地。
その西側、天王寺区の谷町筋と松屋町筋の間に天王寺七坂と言われる坂があります。
古くから仏教寺院が多い場所でもあり、大阪夏の陣で真田幸村が布陣を構えた茶臼山の北側エリア。
真田幸村ゆかりの地も多く、大河ドラマ「真田丸」にて観光キャンペーンをしている今、一番ホットなパワースポット?
そんな天王寺界隈を街歩きして来ました。
これが天王寺七坂です。
それでは一つ一つ紹介していきましょう。
安居天神へ通ずる坂道なので、このように呼ばれている。
この神社境内は大阪夏の陣に真田幸村が戦死したところで、本殿わきに「真田幸村戦死後之碑」がある。
また、同境内すぐ下には七名泉の一つ、安居の清水があり、「かんしづめの井」(癇静め)とも呼ばれよく知られている。
と、書かれています。
写真では伝わりにくいですが、自転車を押して登るほどの坂道なんですよね。
江戸時代になにわのまちでは、とくに飲水としては水質のいい上町台地周辺の水を汲んできて売り歩く水屋なる商売が盛んであったと言われています。
古くからこのあたり周辺には、「天王寺七名水」と呼ばれる良質の湧き水がありました。
この施設は、当時の湧き水の雰囲気をこの地に再現しものです。
との事。
天神坂の麓にあるのが安居神社です。
こちらが安居神社の境内。
真田幸村はこの神社の境内で無念の死を遂げたんです。
真田幸村戦死跡之碑が設けられています。
境内脇に建てられた真田幸村の銅像です。
訪れたの日曜日ですが、この日は8名ほどがこの神社に参拝されていました。
真田幸村公はこの境内で無念の死を遂げました。
その生き方は生きる人間の本義を貫いた人として多くの人に愛されています。
この地から幸村公ははるか故郷、信州上田を偲び、また父昌幸公を慕い、そして大阪城に思いを馳せていたのかもしれません。
幸村公の遺徳を偲び、ここに銅像を建立しました。
この銅像にお手をお触れ下さい、そしてその徳を授かって頂ければ喜ばしく思います。
と書かれています。
新清水清光院に登る坂道をいう。
高台にある新清水寺境内からの眺望は別格で、さらに境内南側のがけから流れ出る玉出の滝は、大阪唯一の滝として知られている。また、この付近一帯は昔から名泉どころとして知られ、増井、逢坂、玉出、安居、土佐、金竜、亀井の清水は七名泉と呼ばれている。
との事。
こちらが清水坂です。
大阪星光学院の南側沿いの坂道です。
清水坂の南側にあるのが清水寺。
4m~5mほど上から流れ落ちる水に打たれて修行をする場なんです。
この日は白い行衣を着た女性が念仏を唱えて修行をされておられました。
清水坂を登り切った場所です。
清水寺の舞台からの眺めです。
その名の通り、坂の下り口にある愛染堂勝髷院から名付けられた。
愛染さんの夏祭り(6月30日)は大阪夏祭りの先駆けとして知られ、境内の多宝塔は市内最古(文禄三年)の建造物で、重要文化財と指定されている。大江神社には「夕陽岡」の碑があり、このあたりからの夕焼けは今も美しい。
との事。
大阪星光学院の北側にある坂道です。
古い石積みの塀がいい感じですね。
この坂の上にあるのが愛染堂勝髷院。
そしてこちらが境内の様子。
お参りする人が少ないですね。
縁結びの霊木「愛染かつら」。
この霊木の前で二人並んで愛を語った男女は、たとえ二人にどんな苦難があろうと、やがては結ばれるという言い伝えがあります。
こちらは本堂の裏にあります多宝塔。
国の重要文化財です。
哲学の椅子ってのもあります。
この石に腰掛けて観察・思索をすると良いアイデアが浮かぶのだとか・・・
坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ていることから、この名がつけられたという。
付近の浄春寺には暦学者麻田剛立、画家田能村竹田、春陽軒には国学者尾崎雅嘉、太平寺には医家北山寿安ら、江戸時代に活躍した先人の墓がある。
また、梅旧院には芭蕉の供養碑も見られるとのことです。
どうですか?蛇のように見えますでしょうか?
この坂道、江戸時代には枝垂れ桜の名所として賑わっていたようです。
今でも桜の季節になるとカメラを持った人が沢山この地を訪れます。
芭蕉もこの坂道で句を読んでいます。
「口とぢで蛇坂(くちなわざか)を下りけり」by芭蕉
また、映画やテレビドラマのロケ地としても良く使われる坂道。
天王寺七坂の中、最も古き佳き面影が残る坂ですね。
この日は愛染坂で浴衣モデル撮影会をされていましたが、口縄坂でも撮影をしていたのかも知れませんね。
こちらは口縄坂の横にあります善龍寺。
このお寺で有名なのが「海中出現地蔵尊」。
その昔、この辺りは大阪湾の海でした。
とある漁師の網に地蔵尊が引っかかったとのこと。
それを大事に持って帰って毎日拝んだところ、漁師の母親の病が治ったのだとか。
それ以来、この地の地蔵尊として祀られているようです。
このあたりは緑が多く、人が入れいないようにフェンスがあったりします。
人気を避けるように野良猫達が昼寝をしている光景がなんともほのぼのとします。
この坂は、登り口に源聖寺があるので、その名をとっている。
付近一帯は、寺町として長い歴史を持つ。
齢延寺には、幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡、同南岳父子の墓があり、銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくるお千代、半兵衛の比翼塚が建てられているとのこと。
こちらが源聖寺坂です。
ここの石畳は結構歴史がありそうです。
調べてみましたところ、手前10mほどの石畳みは昭和44年に廃止された大阪市電の敷石が使われているとのことです。
源聖寺坂の南2軒となりには新選組の大阪旅宿跡である萬福寺がございます。
生國神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていた。
うち、神社の北側には医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼陀羅院の六坊があった。
すべて真言宗であったので、この坂は真言坂と呼ばれた。
とのこと。
千日前通りから南へ登る真言坂。
50mほどの坂道です。
天王寺七坂の中で繁華街に近く、坂の両脇にはマンションとなっています。
この坂を登り切ったところが生國神社です。
訪れたのは7月10日。
若い男性が沢山集まり、お祭りの準備で忙しそうでした。
いかがだったでしょう。
天王寺七坂。
え!坂が一つ足りないって?
そうなんです。逢坂がありませんね。
逢坂は国道25線にあたり車がビュンビュンと走っている通りなので今回の紹介からは外したんです。
天王寺界隈は四天王寺を初め、歴史ある寺院が沢山ございます。
写真は茶臼山。
大阪夏の陣で真田幸村が陣を構えていた場所ですね。
この日は真夏日で外にいると汗がダラダラ。
もう少し涼しくなったら大阪天王寺七坂めぐりなんていかがでしょうか。
2時間程度の気軽な散歩コースとして一度チャレンジしてみてください。