さてさて今日もロングドライブ記事です。
目指すのはもう何度も行ったことがある日本一長い吊り橋で有名な奈良県十津川村にある谷瀬の吊り橋。
約5年ぶりに行ってみたいと思います。
で、今回は自宅から高速道路を一切使わず、地道のみで向かう。
GoogleMapでの所要時間を調べてみると2時間30分。
十津川と言えば山と川の谷間を延々とくねくね走る168号線。
そのイメージはかなり昔の事。
今では道路幅は広くなり、新たなトンネルも出来て、かなり快適にドライブが出来る道になっています。
168号線はツーリングを楽しむバイクも多い道。
緑豊かな山々の間を通る道は気持ちが良いものです。
で、168号線を走っているとあるのが「道の駅 吉野路大塔」
「大塔コスミックパーク星のくに」です。
何度も通っている168号線ですが、立ち寄るのは今回が初めて。
こちらは道の駅の向かい側にある郷土館。
郷土館という名前なので何か展示物があったり、お土産物を購入する場所かと思いきや、ここはお食事処なのです。
そしてここ大塔は「維新胎動の地」として記念が立っている。
鎌倉幕府討伐を企てる「大塔宮護良親王」は、元弘願念(1331年)元弘の乱が起こると、笠置山に参向して父「後醍醐天皇」を助けたが、笠置山が陥落すると幕府軍の追捕を逃れて、十津川・吉野・熊野等々を転々と流浪して必死に反幕府勢力の糾合に努めた。
この間、大塔村辻堂・殿野に入り、土地の豪族「戸野兵衛」「竹原八郎」をはじめとする村人の手厚い加護を受け諸国に幕府追悼の「令旨」を発し、ついに鎌倉討幕の偉業(建武の中興)を成し遂げた。
天誅組
攘夷運動が激しさを増した江戸末期文久三年(1863年)「中山忠光」「吉村寅太郎」ら反幕勢力は「天誅組」を旗揚げし、激しい倒幕運動を展開した。五条で決起し代官所を襲撃した後、交通の要地・物資の集散地であった「天辻峠」に本陣を構えた。
この地方きっての富豪であり有力者であった「鶴屋治兵衛」をはじめ村人は居宅や人力を提供し協力を惜しまなかった。しかし、幕府軍の追捕厳しく志半ばにして夢破れたものの、「維新運動のさきがけ」として讃えられている。
との事。
まぁそんなうんちくはさておいて、郷土館の店内はこんな感じ。
こりゃ風情あるいい雰囲気だわ。
こちらが郷土館のメニュー。
今回は茶粥セット800円と自家製刺身こんにゃく200円を頂きたいと思います。
番茶の茶粥に煮物、ジャガイモを焼いたもの、そしてお漬物とシンプルなランチ。
煮物の味付けが絶妙。
茶粥はなんだか薬草でも入っているのかな。
ちょっと独特な味がしたのだけれど、お店のスタッフに聞いてみると地元の番茶の御かゆだとの事。
そしてこちらは自家製刺身こんにゃく。
醤油にわさびを付けて食べるとあっさりしていて旨い。
お刺身の代わりにこんにゃくというのもありではないのだろうか。
お酒のつまみとしてコスパがいいという発見。
さて、お腹も満たされたので目的地に向かう事に。
168号線を走ること30分程度で谷瀬の吊り橋の村営駐車場に到着。
自家用車の駐車は1日500円。
なんだか以前に来た時よりも警備スタッフが多い。
過去に何かあったのだろうか。
この谷瀬の吊り橋は昭和29年に800万円を投じて架設したもので、長さ297.7m、川からの高さ54m、生活用の吊り橋としては日本一と言われています。
付近の川原が水量の割合に広いのは、明治22年の大水害まで集落や耕地があったところだからで、村内にはこうしたところかなりあります。
当時の被災者達は新天地を北海道に求めて移住しました。
それが今日の北海道の新十津川町。
谷瀬の人達はこの橋ができるまで川に丸木橋を架けて行き来していたのですが、洪水のたびに橋が流されるので1戸当たり20万円という、当時としては思い切った出費に耐え、村の協力を得て完成したとの事。
さてそれでは渡ってみましょう。
橋が長いのでそれなりに揺れることは揺れるけれど、頑丈に作られているのでそれほど恐怖心はない。
赤ちゃんを抱っこした女性もすらすらと渡っていたほど。
もう何度と訪れている人は慣れてしまったというの事もあるのでしょうけど。
足元はこんな感じ。
ワイヤーの上に木の板を敷いただけ。
さて、橋を渡り切った対岸にある茶屋でしばし休憩。
ここでは串こんにゃくを頂きます。
奈良の観光地を訪れると必ず購入するのが串こんにゃく。
150円。
これまで食べてきた串こんにゃくの中で一番私好みの味でした。
求めていたのはこのこんにゃくの味。
小さい頃に四天王寺で良く食べたこんにゃくの味に限りなく近い。
ここから30分ほど山を登れば「日本一の吊り橋が見える日本一の展望台」があると事で向かいたいと思います。
距離にすると1.6km。
のどかな村の情景を楽しみながらハイキング。
村を歩くと少々見晴らしの良い場所に出てきました。
遠くの方に吊り橋が見えます。
限界までカメラのレンズをズームするとこんな感じです。
でも、ここは吊り橋が見える日本一の展望ではございません。
ここから更に山の中へ。
神社へと向かう227段の階段を登る。
これが結構きつい。
神社の裏から展望台へと続く道はまさに登山道。
展望台が見えてきました。
谷瀬の吊り橋には人が多いのですが、展望台まで来る人はかなり少ない。
ほとんど誰もいない状況。
みんな展望台の存在を知らないのか、それとも歩くのが面倒なのか。
こちらが展望台からの眺め。
297.7mもある吊り橋を上から一望できる場所です。
他の人が写り込まないのでここで記念撮影したほうがいいかもしれませんね。
谷瀬の吊り橋がある奈良県十津川村は村として日本一の広さを有する場所なのです。
奈良県最南端、奥大和の秘境として、昔から中央権力に頼らない、自立文化の風土があります。
当時、住民が20万円づつ出し合いながらこの吊り橋を作ったのもそのような風土があったからなのです。
昔の人が私財を使って架けた橋を今も大切に住民の方が使われている姿を見て、形あるものだけを引き継ぐのではなく、その村の風土も今に引き継がれているのだろうなと感じた今回の谷瀬の吊り橋への訪問でした。
ではでは。