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2015.09.18

大阪人よ胸を張れ!大阪には偉大な起業家が沢山いるのだ!!「大阪企業家ミュージアム」に行ってきた!!!

大阪人よ胸を張れ!大阪には偉大な起業家が沢山いるのだ!!「大阪企業家ミュージアム」に行ってきた!!!

淀屋橋や心斎橋は、今や都心の主要交通道路や観光スポットとして有名ですが、実はこの橋を建造したのは国や行政ではなく、民間の商人なんです。
ここ大阪は古来より、民間の財力で街を開拓していく文化があったのです。
具体的な例で言えば、淀屋橋は淀屋が建造、心斎橋は 岡田心斎がかけた橋などがありますね。
今回は「大阪企業家ミュージアム」で、こういった民間の企業家達の歴史を学んできました。

「大阪企業家ミュージアム」はこんなところ

大阪企業家ミュージアム

http://www.kigyoka.jp/

堺筋本町駅から徒歩5分ほどの場所にある「大阪企業家ミュージアム」。

大阪企業家ミュージアム 入り口

川に沿って北へ歩けばすぐに分かります。入館料は300円です。


大阪企業家ミュージアム ガイドブック

ガイドブックや企業家名言集も売っています。各500円でした。
内容の濃さや面白さから考えると手頃な値段なので、訪れた際には購入してみては?


大阪企業家ミュージアム ガイドブック

ガイドブックには企業家一人一人のプロフィールや歴史が掲載されています。これを読めば大阪の商業に関する知識をかなり高めることができるんじゃないでしょうか。
英訳も掲載されており、日本の歴史が好きな海外の方へのおみやげやプレゼントにも喜ばれるかも。


大阪企業家ミュージアム ガイドブック

企業家名言集は1ページに1つの名言が描かれています。
じっくり読むというよりも、うまくいかない時や仕事の合間に開いてみることで、前向きになれる名言に出会えます。
名言の出た背景や意味や心も分かるので、ためになること間違いなしの1冊。

産業の基盤を作った人々と紡績産業を盛んにした人物の紹介

大阪企業家ミュージアム 第1コーナー 

「大阪企業家ミュージアム」では105人の企業家を、明治以降の3つのブロックで展示を行っています。
1つ目のブロックは大阪の産業基盤を築いた人物の紹介をしています。
下記に展示されている人物と関わった企業を記載します。

・五代 友厚(大阪商工会議所、株式会社大阪証券取引所等)
大阪の商業発展はこの人物から始まったと言っても過言ではない

・松本 重太郎(みずほファイナンシャルグループ等)
新しい金融手法で、多くの企業を設立した

・藤田 伝三郎(DOWAホールディングス株式会社等)
地域開発に力を入れ、様々な産業を作り上げた

・広瀬 宰平(住友グループ等)
別子銅山の近代化を進め、外貨獲得に貢献した

・中橋 徳五郎(株式会社商船三井等)
大阪の海運業を盛り上げたのはこの人物。大阪商船グループを立ち上げた


大阪で大きな発展を遂げた紡績関連企業に関わった人物の紹介

大阪の商業の発展は紡績からなんですね。知らなかったな。

・山邊 丈夫(東洋紡績株式会社)
日本で最初の紡績会社を創設した

・菊池 恭三(ユニチカ株式会社等)
紡績会社の技術責任者から社長になり、技術の進歩に貢献した

・武藤 山治(カネボウ株式会社)
人道的で科学的合理性に基づいた労務管理を実践した

・稲畑 勝太郎(稲畑産業株式会社)
繊維産業の中でも染色技術の発展に大きく貢献した

紡績産業からさらに繊維産業の発展に貢献した代表的な人物は以下の5名とされています。
・大原 孫三郎(倉敷紡績株式会社、株式会社クラレ)
・大原 總一郎(倉敷紡績株式会社、株式会社クラレ)
・津田 信吾(カネボウ株式会社)
・樫山 純三(株式会社オンワード樫山)
・石本 他家男(株式会社デサント)



次は商業の発達には欠かせないのが貿易に関わった人物の紹介

貿易で外貨を獲得することを初めて考えた人の、発想力と着眼点は見習いたいところ。
この貿易産業の発展に大きく関わった方々の紹介です。

・伊藤 忠兵衛「初代、二代目」(伊藤忠商事株式会社 丸紅株式会社)
総合商社の原点を創りだした

・岩井 勝次郎(双日株式会社)
輸入信用貸出を日本人向けに初めて認めさせた人物で、輸入品の国産化を目指した

・安宅 弥吉
流通過程を支え、国内産業の発展を促した


産業の拡大に必要な資金やお金に関わる人物紹介

金融面での仕組みを変える人物も出てきました。いつの時代もお金は大事。

・野村 徳七「2代目」(野村證券株式会社、株式会社りそな銀行等)
勘と経験による相場を止め、調査や分析に基づいた株式売買に挑んだ

・弘世 助三郎、片岡 直温(日本生命保険相互会社)
日本における保険制度基盤を構築した人物たち

・岩下 清周(株式会社三菱東京UFJ銀行等)
新規事業への貸し渋りをせず、人柄や事業の中身を見て融資を行い、新規産業の育成に努めた

・小山 健三(株式会社三菱東京UFJ銀行)
新たな金融サービスと近代的な商業銀行を確立した

・藤本 清兵衛(株式会社大和証券グループ本社)
「ビルブローカー」という業務分野を生み出し、様々な企業の資金調達を支援した

上の5名以外にも
・堀田 庄三(株式会社三井住友銀行)
・渡邊 忠雄(株式会社三菱東京UFJ銀行)
・寺尾 威夫(株式会社りそな銀行)
の3名も金融業で活躍した方々として展示されています。

大衆文化を作り上げた偉人

大阪企業家ミュージアム 第2コーナー

2つ目のブロックでは大衆社会、消費社会の時代に活躍した人物の展示を行っています。
まずは、都市建設や土木分野の発展に携わった人物の紹介。
高層ビルや大きな建物などは、この頃からたくさん建設されるようになったんでしょうね。

・大林 芳五郎(株式会社大林組)
大林組の旗揚げを行い、生駒山トンネルなどの大規模工事を完遂した

・竹中 藤右衛門「14代」(株式会社竹中工務店)
竹中工務店を神戸に進出させるとともに創立1年目とした人物で、新しい建築技術を多く取り入れた

・辰野 金吾(大阪商工会議所)
・片岡 安(大阪商工会議所)

近代建築を用いた、大阪の街の都市計画を作成


製薬や化学の産業発達に貢献した人物紹介

この頃主流だった漢方は品質が揃わず、効能も安定しなかったようです。
そこで、西洋の薬「洋薬」を取り入れようという動きが活発になりました。

・武田 長兵衞「5代」(武田薬品工業株式会社)
洋薬を扱い、新薬研究や製薬事業に本格的に取り組んだ

・田邊 五兵衞「12代」(田辺三菱製薬株式会社)
和漢薬から洋薬への転換を進めた他、清酒用防腐剤サリチル酸を輸入し、酒造家から賞賛された

・塩野 義三郎「初代」(塩野義製薬株式会社)
洋薬の低価格化や産学共同での新薬開発など洋薬の普及に務めた

・藤澤 友吉「初代」(アステラス製薬株式会社)
医薬品・香料・殺虫剤・防臭剤などに利用するカンフルの精製と販売を始めた

・森下 博(森下仁丹株式会社)
有名な長寿商品である「仁丹」の開発を行った

・上山 英一郎(大日本除虫菊株式会社)
防虫、除虫薬品で有名なキンチョウの創業者
展示物の中には当時の蚊取り線香もあり、今と違って線が丸かったです。
ちなみに、渦巻状にしたのは奥さんのアドバイスからだったそう。


鉄道の開発を進め、人々の生活圏が広げた人物

今や欠かせない乗り物になった阪急・阪神・京阪・南海・近鉄はこの時期に設立されたとのこと。
いつもお世話になってます。

・小林 一三(阪急阪神東宝グループ)
阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道を創業し、沿線の住宅地開発をしながら鉄道を交通手段にすることで経営の安定を実現
駅の中に商業施設を併設する駅ビルを発案

・今西 林三郎(阪神電気鉄道株式会社)
日本で初めて沿線の住宅開発を行い、集客施設も配置することで私鉄経営のモデルを作った

・太田 光凞(京阪電気鉄道株式会社)
京都~大阪間に平行して2本の鉄道を敷くことで往来をスムーズにし、輸送力の強化を行った

・大塚 惟明(南海電気鉄道株式会社)
山陽鉄道・讃岐鉄道で斬新なサービスを展開した

・金森 又一郎(近畿日本鉄道株式会社)
日本一の私鉄路線網を形成した


重工業に関連した現代まで続く大企業を立ち上げた人物紹介

どんどんいろんなことが効率的になっていき、生産性が上がっていることが感じられます。

・久保田 権四郎(株式会社クボタ)
鋳鉄管製造技術の革新を行い、生活インフラの整備にも力をいれた

・山岡 孫吉(ヤンマー株式会社)
世界で初めて小形ディーゼルエンジンの開発に成功し、農業の近代化を進めた

・栗本 勇之助(株式会社栗本鐵工所)
弁護士から鉄管製造に転職し、大阪工業会を設立した

・中山 悦治(株式会社中山製鋼所)
独力で溶鉱炉を建設した他、薄鉄板製造で業界を変えた

・E.H.ハンター(日立造船株式会社)
・範多 竜太郎(日立造船株式会社)

海に囲まれた日本の地形を活かして、造船業を始めた

・椿本 説三(株式会社椿本チエイン)
自転車用チェーンから機械用チェーンを製造し、伝動装置の発展を支えた

・小林 愛三(株式会社ダイヘン)
柱上変圧器に特化することで標準化し、大量生産を可能にした

・新田 長次郎(ニッタ株式会社)
工業用革ベルトの製造に成功した

人の生活を豊かにするモノの発明をした人物紹介

生活必需品以外の分野が発展しているということは、それだけ裕福になってきた証拠なのかな。

・水野 利八(ミズノ株式会社)
注文生産が主流だったスポーツ用品を量産化した

・井上 貞治郎(レンゴー株式会社)
ダンボールの発明者として知られ、高度経済の社会の中でパッケージ分野に特化して活躍

・黒田 善太郎(コクヨ株式会社)
和式帳簿を生産と複式簿記に合わせた洋式帳簿を開発

・伊藤 喜十郎(株式会社イトーキ)
ニーズに合わせた自社オリジナルの事務用品や生活雑貨を発明

・西村 俊一(株式会社サクラクレパス)
25歳で社長に就任し、油絵の具の品質向上を進めた

・中山 太一(株式会社クラブコスメチックス等)
化粧産業を発展させる一方で、科学的管理法の導入を進めて関西の能率運動のリーダーとなった

・市川 銀三郎(象印マホービン株式会社)
電球加工職人の弟と魔法瓶の製造開始し、日本の魔法瓶工業の発展を行った

・田嶋 一雄(コニカミノルタホールディングス株式会社)
ドイツ人とともに起業し、光学技術の研究からカメラを開発

・島野 庄三郎(株式会社シマノ)
自転車の技術革新とも言われたフリーホイールを研究し、自転車部品で世界トップとなる


日本の食文化に洋風を取り入れた人物紹介

西洋の文化は、そのまま持ち込んでも受け入れてもらえないので日本風にアレンジが必要なんですね。

・鳥井 信治郎(サントリー株式会社)
日本人の味覚にあったワイン「赤球ポートワイン」を開発し、国産ウイスキーの製造も行った

・江崎 利一(江崎グリコ株式会社)
子供の健康を考え、牡蠣のエキスを入れた栄養菓子「グリコ」を開発した

・浦上 靖介(ハウス食品株式会社)
・浦上 郁夫(ハウス食品株式会社)

カレールーの製造を始め、普及させた

・鳥井 駒吉(アサヒビール株式会社)
日本初の純国産ビールを製造した


レジャーやショッピングという文化を発展させた人物紹介

今でこそ当たり前のようにある「百貨店」「お笑い」という文化。
当時はどれだけ目新しく魅力的に映ったか想像もできないな。

・吉本 せい(吉本興業株式会社)
・林 正之助(吉本興業株式会社)

芸人の自社専属制を導入し、ラジオを通じて全国に売り込む方法を行った

・白井 松次郎(松竹株式会社)
・大谷 竹次郎(松竹株式会社)

古典劇の風習や文化を踏襲しながら近代化させることで、演劇分野の裾野を広げた

・飯田 新七「4代」(株式会社髙島屋)
百貨店という文化を形成し、全国へ広げていった

・下村 正太郎「11代」(株式会社大丸)
消費社会の中にある流行を発信することで、消費者の心理を購買に向ける手法を生み出した


情報の発信と普及を促す新聞事業に関わった人物紹介

情報がいろんな人の目に触れるようになることで、いろんな意見や考えが活発に生み出されたのかな。

・村山 龍平(株式会社朝日新聞社)
・上野 理一(株式会社朝日新聞社)

報道の有り方と紙面の製作方法を改革し、「中新聞」という新たなジャンルを形成

・本山 彦一(株式会社毎日新聞社)
情報の発信と、文化やスポーツに新しい流れを作り、社会貢献にも力を入れていた

・前田 久吉(株式会社産業経済新聞社)
地域の人々の役に立つような新聞作りに挑戦し、「日本工業新聞」も発刊した

なんだか一気に文明が進んだように感じたのは自分だけでしょうか。

大阪の復興から高度経済成長期に活躍した偉人

大阪企業家ミュージアム 第3コーナー

1945年に起こった大阪大空襲により大阪は焼け野原になってしまいました。
そこから再生へと導いた数多くの人物を紹介します。
改めて空襲の被害を物語る写真などを見ましたが、本当に何も無いと言っても過言ではない状況から今日の賑わいまで再生したことに感動しました。

・杉 道助(大阪商工会議所等)
戦後の大阪経済復興の中心人物とも言え、大阪商工会議所の再建に取り組んだ

・谷口 豊三郎(東洋紡績株式会社)
日本の繊維業界の代表として日米繊維交渉を行った

・日向 方齋(住友金属工業株式会社、社団法人関西経済連合会)
関西国際空港や関西文化学術研究都市の実現に貢献した

・佐伯 勇(近畿日本鉄道株式会社等)
近鉄を日本最大の私鉄へと成長させ、日中国交回復に着手した

エネルギー供給を安定してできるように進めた人物紹介

経済成長にはエネルギーの確保が不可欠。
エネルギーがなければ大規模な建築もできませんし、生活の質の向上も難しいですよね。

・太田垣 士郎(関西電力株式会社)
戦後の復興に必要な電力を火力だけでなく水力でも発電するために、黒部ダムに黒部川第四発電所を建設し、電力確保の基盤を築いた

・芦原 義重(関西電力株式会社)
発電技術の確信をもたらし、大阪万博会場に原子力発電の明かり灯した

・西山 磐(大阪ガス株式会社)
天然ガス転換を行い、都市ガスを広い範囲に供給できるようにした

・岩谷 直治(岩谷産業株式会社)
ガスとエネルギーの市場を開拓し、台所革命を起こした

新しいアイデアと技術で電化製品を発明した人物紹介

パナソニックや三洋電機、シャープができたのもこの頃です。

・松下 幸之助(パナソニック株式会社、パナソニック電工株式会社)
電化製品ブームを起こし、経営の方法に事業部制を導入するなど様々な分野で革新をもたらした

・井植 歳男(三洋電機株式会社)
ユーザー目線の商品開発を行い、噴流式洗濯機を発明した他、トランジスタを自社生産可能にした

・早川 徳次(シャープ株式会社)
シャープペンシルを発明し、国産テレビ第一号を発売


住居空間のニーズに応える企業や技術を作った人物紹介

暮らしの空間そのものにも新たな技術が生まれ、より住み良い家のニーズが高まりました。
こうしてみると、世の中の需要に沿った物を開発できる企業がどんどんできているように感じます。
これが「生活が豊かになっていく」ということなんでしょうね。

・石橋 信夫(大和ハウス工業株式会社)
「パイプハウス」や「ミゼットハウス」を開発した他、団地開発も手がけた

・田鍋 健(積水ハウス株式会社)
顧客の声を大切にし現場主義の経営を実行、戸建住宅からまちづくりを進めた

・能村 龍太郎(太陽工業株式会社)
膜の可能性を研究し、世界最大の膜面構造物メーカーとなった
※膜面構造物の代表的な例は東京ドームなどのドーム型建造物


新時代のモノづくりを進めた人物紹介

需要やニーズに応えるだけでなく、生活の安定、そして未来を見据えた開発と進んでいるのが正に「経済の成長」という感じがします。

・細川 永一(ホソカワミクロン株式会社)
日本だけでなく、世界の粉体工学の発展に貢献した

・山田 晁(ダイキン工業株式会社)
日本で初めてパッケージエアコンを開発し商品化した

・吉川 秀信(タカラベルモント株式会社)
理美容や歯科医院でしようされる特殊な椅子を開発し、世界トップになる


時代の流れに合わせて流通業を進化させた人物紹介

人々が新しい物を求め、消費していく時代になったということですね。

・中内 功(株式会社ダイエー)
日本の総合スーパーの基本を作った

・西端 行雄(株式会社マイカル)
世界初になる衣料品のセルフ販売を行い、成功させた

・和田 源三郎(イズミヤ株式会社)
・和田 満治(イズミヤ株式会社)

呉服店をチェーン展開し、総合スーパーへと変貌させた

・大西 信平(株式会社大西)
流通業界にオンラインリアルタイムシステム・コンピュータを世界で初めて導入した

・越後 正一(伊藤忠商事株式会社)
伊藤忠商事再建に取り組み、重化学分野にも進出した

・市川 忍(丸紅株式会社)
高度成長に不可欠な資源開発輸入と製品輸出を行い、新生「丸紅」を生み出した

・髙井 恒正(株式会社千趣会)
・行待 裕弘(株式会社千趣会)
・池田 悟(株式会社千趣会)

独自の商品開発と通信販売を行い、カタログショッピングという分野を作り上げた


最後は新しい食文化を作り上げた人物紹介

今では当たり前に存在するインスタントラーメンが大阪で発明されたことは有名です。
まだ行ったことがないので、池田市にある「ラーメン博物館」も行ってみたいな。

・安藤 百福(日清食品株式会社)
世界で初めてインスタントラーメンを開発し、販売した

・大社 義規(日本ハム株式会社)
ハムやソーセージと食肉加工の新製品を開発した

・佐治 敬三(サントリー株式会社)
生ビールの市場を開拓し、洋酒市場を拡大した


企業家の功績を学ぶと自己啓発にも効果が!?

パネル展示の105名の起業家は圧巻です!

言葉に出来ない何かが私の心を揺さぶります。

現代では感じれない明治から昭和の「生きる力」の強さ!

貧しさゆえの「豊かさ」への渇望

最近では未来への閉塞感に流されがちですが、ここにいる先人たちは時代がどうあれ、未来に希望を持って突き進んできた人達です。
「あなたも未来に悲観をしないで夢を持って自分で未来を作って行きなさい。私たちもそうして来たのだから。」
そう背中を押された気がします。


誰かの偉業を知ると「自分も何かやらねば(やってみたい)」というチャレンジ精神が湧いてきます。
何かを成し遂げることの素晴らしさと苦労というのは、知るだけも十分に自分を変える動機になるのです!
決して大げさな表現ではないので、是非「自分を変えたい・前向きな姿勢が欲しい」と思う人は一度行ってみてください。
家で読む自己啓発本よりも段違いにテンションが上がりましたよ!

さぁ来年からがんばるぞっと!!!

今回取材するにあたり本来は館内撮影禁止なので詳しくはお見せできませんが、館内風景の写真を特別に提供して頂きました。
気になった方は是非自分の目で展示物を見に行くことをおすすめします。当時の貴重な物品がかなり綺麗に保存されているので、一見の価値有りです。

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