日頃お世話になっている取引先のスタッフが明日、結婚するという知らせを聞いた。
時刻は17時40分。
思えばそのスタッフとの出会いは何時だったろうかなどと遠い昔の記憶を紐解きながら、あんなことがあった、こんなこともあったなど色々な出来事を思い返しながら感慨深くお祝いの電報を送る準備をする。
そこで、はてとな。
メールやケータイのメッセージで何時でも何処でもタイムリーにお祝いの言葉を伝えれる環境である今日。
なのに何故、電報で送るのかって事。
その昔、電報は緊急連絡として肉親の危篤連絡などに使われていましたが今では祝電、弔電などの礼儀として定着。
この風習は何時まで残るんでしょうね。
冠婚葬祭やその他の祭典において、これまで通り祝電、弔電を読み上げると言う習慣が残っています。
これが不思議でよね。
何故に電報でなければならないのか。
みなさんもこの滑稽な習慣に疑問を感じているはず。
だってあまりに時代錯誤でフフフって感じじゃないですか。
そしてこれがまたネットで電報を申し込むというジレンマがたまらなく滑稽だなぁと。
NTT西日本のインターネット電報D-NETだと19時までの申し込みなら翌日に電報が届く。
メールだと即座に届くのに。
まぁそのうち電報という文化も無くなるのでしょうけど。
まぁそんな事を感じながら、お祝い事はお祝い事だ。
例え電報であろうがメールであろうがどんな形式であろうと祝いたい気持ちに変わりはない。
そういう事なのだ。
ではでは。