朝、リビングにてパソコンで調べ物をしながらテレビを眺めていると近江八幡を訪れる旅番組が流れてましてね。
歴史の風情ある街並みが魅力的でして、ふと目の前のPCでGoogleMapを開け、自宅から近江八幡までの移動時間を調べたところ。
1時間44分との事。
これなら昼ごろに出かけたとしても楽しめるかなと思いましてね。
出かけてきました。
到着した日牟禮八幡宮の駐車場はすでに満車状態。
100台以上はあるかな。
大型観光バスもチラホラと。
日牟禮八幡宮を過ぎて300mほど先の八幡公園の無料駐車場に車を停めることに。
きっぷ売り場兼売店のロープーウェイ乗り場。
八幡山は標高271.9mで、豊臣秀次が築いた八幡山城の城跡。
本丸跡には村雲瑞龍寺が京都から移築されています。
ロープウェイで山頂までの所要時間は4分程度。
往復で880円は少々高いかもしれませんね。
片道は当日、往復は2日間有効ということは村雲瑞龍寺で宿泊する人もいるということなんですかね。
売店で目についた近江八幡名物の赤こんにゃく(110円)。
七味唐辛子をかけていただきます。
冷やした赤こんにゃくは出汁がしみていてとても美味い。
売店のおばちゃんが「ビールが欲しくなる味でしょ。」って言うから、ノンアルコールビールも買う。
さすがは近江商人。
商売上手だわ。
ロープウェイに乗るとすでに山頂の駅が見えているほどの近さです。
ロープーウェイから見下ろす近江八幡の田園風景がとても美しい。
山頂はぐるっと一周回って30分コース。
山頂から眺める琵琶湖の大パノラマ。
たかだか標高271.9mですが、体感温度はかなり涼しいです。
こちらは反対側の近江八幡の景色。
そして山頂にある村雲瑞龍寺。
ひっそりとコンパクトにまとまったお寺です。
八幡山の山頂にはお土産屋兼展望台があります。
30分程度、山頂を散歩してロープーウェイで下山。
この日山頂に訪れていた観光客は20人程度ですかね。
日牟禮八幡宮のすぐ脇にある八幡掘。
豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築いて開町。
秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけたとのこと。
八幡掘の船での観光は所要時間:約35分
●料金 1人 大人 1,000円 小人 500円(小学生未満無料)
この日は船には乗りませんでした。
堀沿いの散歩道を歩くだけでも十分に風情が味わえます。
時代劇の撮影などにもよく使われ、まさにタイムトリップしたような気分。
八幡掘から歩くこと5分程度。
古い家屋か並ぶ新町通り。
新町通にある旧西川家住宅。
蚊帳や畳表の商いをしていた西川利右衛門の三代目が1706年に建てたものだとか。
西川家の家訓は義理人情を第一とし、利益追求を後回しにすることが商売繁盛となり、得られた富に見合った人間形成を行えと説いてるそうです。
ここは国の重要文化財に指定されており、入館料は300円。
JAF会員割引で240円で入館できます。
こちらが土間。
天井の梁が立派できれいに保存されています。
家に入ってまず思ったのが「ずいぶんときれいに残っているもんなんだな」ということ。
まるで太秦映画村のセットのよう。
6畳間が6室続きの36畳という広さの座敷。
その他、支度を整えるための部屋とか茶室とかがあります。
お座敷より庭の眺め。
あ~落ち着くなぁ。
こちらは帳場。
300年以上も前に建てられた住宅なんですが、良い意味で年月を重ねたものにか宿らない凛とした佇まい。
その昔、この場所で商いをしていた近江商人の賑やかな声が、今にも聞こえてきそうなそんな場所でした。
蚊帳や扇子を作っていた江戸時代初期の豪商「伴庄右衛門」の本家。
1827年から1840年に建てられたと考えられていて、その大きさから明治期には学校として使われていました。
最終入館時間が16時、すでに5分程度過ぎている。
門前でもう入館は無理かなと思って諦めて去ろうとした時。
中から気の良さそうなおじさんが出てきて「よかったらどうぞ!」って声を掛けてくれた。
しかも「よかったら一緒にご案内をしましょうか」とのこと。
これはありがたい。
玄関をくぐるとまず目に入ってくるのが家の中央にある広大な吹き抜けの土間。
幅4.5メートル、奥行き13.6メートルで3階の屋根まで達する吹き抜けの空間。
ここに飾られているのが地場のお祭りである左義長まつりの山車。
干支にちなんだものを山車として地域の人で2ヶ月~3ヶ月かけて作るそうな。
材料はすべて食材で毎年13基の山車が出来るんですって。
そして祭りが終われば燃やすんだそう。
これは毎年毎年大変そうだわ。
機会があれば祭りの時に訪れてみたい。
毎年お祭りの写真コンテンストもしているんだって。
ちなみにこのおサルさん、顔はチューインガム、毛並みは春雨、手足の爪はピスタチオで出来ています。
【豪商エピソードその1】
約40cm角の大黒柱、お城作りでもこれほど太い柱は使われないそうです。
実は伴家は震災で家が壊れた経験があるようで、耐震性に拘ったと記録があるみたい。
【豪商エピソードその2】
柱ひとつない45畳の大広間。
ここで蚊帳を編む作業をしていたそうな。
2階の天井を支える梁の堅牢さたるや。
そして2階の窓の上部を支える大きな梁。
長さ13メートルを超える一本木を使っているそうで、相当な重量がありそうです。
当時どうやって組み上げたのでしょうね。
こちらは2階の大広間へと続く中2階。
右側にある5段ほどの階段に注目。
微妙に螺旋状になっているという珍しい作りなんですって。
この角度からだとちょっと螺旋になっているのが分かりにくいかな。
【豪商エピソードその3】
この扉の向こうに3階へと続く階段がありますが、老朽化で危険なため一般公開は禁止。
実はこの家を建てる当時、幕府からの規制で一般庶民は3階建ての建物を建ててならない時代だったらしい。
ですが、金持ち特権といいましょうか、豪商が故にお許しが出たのだそうな。
幕府が近江商人の伴家に一目置いていたのは間違いなさそうですね。
日牟禮八幡宮の駐車場に隣接しているCLUB HARIE近江八幡日牟禮ヴィレッジ。
ここには日牟禮限定のスイーツが沢山あります。
いろいろ悩んだあげく、日牟禮シフォンケーキをお土産に買って帰る事にしました。
さぁそろそろ陽も落ちてきたことだし帰りますかな。
ではでは。